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T. S.

ベルリンでもバウハウスの作品や思想に触れることができる「バウハウス・アーカイヴ」


ドイツを訪れた際は、バウハウスに行ってみたいという方もいらっしゃると思います。ワイマールやデッサウにあるバウハウス関連の建物を見学することもできますが、ベルリンでもバウハウスに触れる場所があります。それが、バウハウス・アーカイヴです。バウハウスは1919年から1933年の間に活動していましたが、その最後の年、ミース・ファン・デル・ローエが校長を務めていた時にデッサウからベルリンへと拠点を移したため、このバウハウス・アーカイヴの建物を当時使っていたと思われる方も少なくないようですが、この建物は70年代に建てられたことからも分かるように、当時のベルリン校舎とは異なります。そこで今回は、ベルリンにあるバウハウス・アーカイヴというのがどのようなものなのかについて紹介していきたいと思います。

バウハウス・アーカイヴが設立されたのは1960年のことになります。この設立を手掛けたのは、ドイツ人美術史家のハンス・マリア・ウィングラーという人物でした。彼の呼びかけの下、バウハウス初代校長ワルター・グロピウスを始めとするバウハウス出身者によるサポートもあり、数多くのコレクションが集まりました。こうしたコレクションをもって、ダルムシュタットを拠点としながら展示会を催していましたが、コレクションの数が膨大になっていくにしたがって、それらをしっかりと保管・展示することができる建物が求められるようになっていました。そうして、バウハウス・アーカイヴのための新しい建物の設計をグロピウスに任せることになりました。始めは拠点であるダルムシュタットに建設されることになっていましたが、諸事情により結局ベルリンに建てられることになりました。

グロピウスはこの新しい建物の設計を1964年からとりかかっていましたが、その5年後の1969年にグロピウスは建物の完成を見ることなく亡くなってしまいました。その後、1976年から1979年にかけてベルリンの現在の場所にバウハウス・アーカイヴの建物が建設されましたが、この時の設計にはグロピウスの計画案が参考にされ、建物の配置や独特の屋根の形状など、様々な部分で彼の案がそのまま使われています。

バウハウス・アーカイヴに行くと、ファイニンガーやカンディンスキー、モホリ=ナジといったバウハウスで活躍した教師や生徒の作品を実際に見ることができます。しかし、1960年のバウハウス・アーカイヴ創設以来、その一番の目的は、単純にそうしたバウハウス出身者の作品を記憶として収集し展示することではなく、バウハウス・アーカイヴのコレクションを通して将来生まれるであろう作品のためのアイデアの源となることでした。こうした理念から、ここにはバウハウスの当時の教師や生徒による作品がコレクションされ展示もされていますが、それ以上にバウハウス関連の原稿や書簡、出版物といった当時のバウハウスの思想や活動に関わる資料がより意味を持っていると言えるでしょう。

バウハウス・アーカイヴの新しい建物が1979年にベルリンに完成して以降、多くの人々がバウハウスのコレクションを見ようとここへ訪れてきており、その数はベルリンの壁崩壊の後、ますます増えてきていました。また、コレクションの数も年々増加しているため、当初の建物が持つおよそ700㎡の展示スペースでは足りなくなっていました。そこで、2018年から敷地内に2300㎡の展示スペースを持つ新たな建物の建設が始められています。既存の建物も改修されるため、建設期間中バウハウス・アーカイヴはベルリンの別の場所に一時的に移転しており、そこで展示が行われています。そこを訪れた際は、バウハウスが生み出した作品だけでなく、そうした作品を生み出したバウハウスの教育システム・思想などにも注目してみるといいかもしれません。


(2021年3月現在 バウハウス・アーカイヴは新館建築工事のため休館中です)


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