ドイツ東西統一以来の復興、再開発の象徴としてベルリンのポツダム広場を知っている方もいらっしゃるでしょう。ベルリンには、壁の崩壊から生じた空地や都市構造の変化を利用して、様々な場所・かたちで再開発が行われ、現在でもそれは続いています。その中でも、ポツダム広場の再開発は壁崩壊直後から始まった最も大きく重要なプロジェクトでありました。そこで今回は、その再開発まで至る歴史を見ていきながら、ポツダム広場について詳しく紹介していきたいと思います。
第二次世界大戦が終戦を迎えると、ベルリンの街はアメリカ・イギリス・フランス、そしてソビエトによって分割されました。その後、1961年にはソビエトが境界に壁を建設し始め、冷戦時代へと本格的に突入していきました。その境界に丁度位置していたのがポツダム広場でした。そのため、ポツダム広場だけでなく、ベルリンの壁が建てられた場所あるいは壁沿いのエリアは、冷戦の緩衝帯として遊休地へとなっていったのでした。
ポツダム広場のすぐ西側には、60年代70年代に建てられたハンス・シャロウンが手掛けたベルリン・フィルハーモニーやミース・ファン・デル・ローエ設計の新ナショナルギャラリーなど、近代建築の傑作と言われる建物が建ち並んでいます。これは、西ベルリンがベルリンの壁が建設される前に東西の統合を見越して、ポツダム広場が再びベルリンの中心地となった時のことを考えて、ポツダム広場の西隣のエリアを文化広場(Kulturforum)として、そうした世界的建築家によるプロジェクトをここで行っていったようです。
壁建設、そして戦争によって受けたダメージによって、半世紀近くも遊休地となっていたポツダム広場でしたが、ベルリンの壁崩壊によってようやくその状態から解放されることになります。早くも1991年にはポツダム広場とその東側に位置するライプツィヒ広場の都市計画コンペがベルリン市によって行われ、ミュンヘンを拠点とするヘインツ・ヒルマーとクリストフ・ザトラーの計画案が選ばれました。彼らの案では広場が4つに分けられ、それぞれのエリアでさらなるコンペが行われました。この中の最も大きなエリアは、世界的に有名な建築家レンゾ・ピアノが基本計画を行うことに決まり、その次に大きなエリアは、ヘルムート・ヤーンによってソニーセンターが建築されることになりました。
こうした再開発によって、現在ポツダム広場は再び活気を取り戻しています。その中でも、広場の賑わいを最も生み出しているのがソニーセンターです。ここには、レストランや映画館、オフィスといった機能が入っており、建物の中央に中庭のようにある楕円形の広場は「フォーラム」と呼ばれ、富士山を思わせるテント構造の巨大な屋根がまたこの場所を印象づけています。このエリアの東側にはベルリンの壁の一部が展示されていたり、「皇帝の間」と呼ばれる皇帝ヴィルヘルム2世が訪れたホテルのダイニングルームの一部が保存されていたりと、ポツダム広場の歴史を知ることができる場所ともなっていますので、ここを訪れた際は、活気を取り戻した広場を楽しみながらも、そうしたポツダム広場の歴史についても思いを馳せて見てはいかがでしょうか。
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