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T. S.

(ベルリンの史跡)ブランデンブルク門を訪れる前に知っておきたい基礎知識

更新日:2019年12月22日


ベルリンと言えば、まずブランデンブルク門も思い浮かべる方も多いと思います。実際にブランデンブルク門は、連日多くの人々が訪れる観光名所となっており、ベルリンの街を象徴する1つの建造物であります。誰もが見慣れているブランデンブルク門ですが、それがどのような門であるかという詳しいことを知っている方は少ないのではないでしょうか。そこで今回は、ブランデンブルク門が建造された経緯やそのデザインなどについて見ていきたいと思います。

ブランデンブルク門が建設されたのは1789年から1793年の間で、当時のプロイセン王であったカール・フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の指示によって、カール・ゴットハート・ラングハンスがその計画を任されました。ヴィルヘルム2世はラングハンスに、プロピュライアというアテネのアクロポリスにある入口の門のデザインをブランデンブルク門の設計の参考にするよう伝えていました。それに加えて、街が隣接するティアガルテンの緑豊かな地域とつながるように、可能な限り見通しの良い開けた門にするように要求していたようです。こうしたことを踏まえて、ラングハンスはブランデンブルク門の奥行きを比較的浅くしたり、柱を細くするなどしながら、上の荷重にしっかりと耐えられるように柱間は壁で覆うデザインを取り入れました。

要塞の廃止が決まる18世紀までは、ベルリンも他のヨーロッパの都市と同じように街が壁で取り囲まれていた城郭都市でした。当初、要塞壁の設けられた門というのは、街を出入りするための門としての役割を果たしていたわけですが、人口の増加により街が壁の外へと拡大していったため、要塞壁に軍事的な意味はほとんどなくなり、代わりに壁は税関壁として、10以上の門は関税門としての役割を担うようになりました。ブランデンブルク門は、すでにその関税門を目的として建設されたことになります。現在では、その税関壁やブランデンブルク門以外の関税門は現存していませんが、「~Tor(~門)」という名前が地名や駅名として今なお使い続けられており、それらが存在した名残を街のあちこちで見てとることができます。

ブランデンブルク門を訪れた際に是非見ておきたいものの1つに、門の上に載せられているヴィクトリア像があります。これは、彫刻家ヨハン・ゴットフリート・シャドウが手掛けた像で、クアドリガと言われる4頭の馬が引く馬車に勝利の女神ヴィクトリアが乗っているというものです。当初、ヴィクトリアの像は平和の象徴であるオリーブのリースを掲げているというデザインでしたが、後にベルリンがナポレオンによって征服されると、このヴィクトリア像は戦利品としてパリへ持ち去られてしまいました。しかし、その後のナポレオン戦争において今度はパリをプロイセンが征服すると、このヴィクトリア像は無事にベルリンに取り戻されました。その時に、ヴィクトリア像が掲げるオリーブのリースは、勝利を記念する鉄十字紋章へと変更されました。

ブランデンブルク門は、街の目抜き通りであるウンター・デン・リンデン、ベルリンの中心部という土地柄もあり、常にベルリンの激動の歴史のど真ん中にありました。1930年代、40年代はナチスによってブランデンブルク門は政治利用され、第二次世界大戦では大きな損傷を受け、東ベルリンに属していた冷戦時代には、ブランデンブルク門のすぐ目の前にベルリンの壁が通っており、通り抜けることができない門として東西分断のシンボルでもありました。さらには、ヴィクトリア像が掲げる鉄十字紋章が社会主義に適さないとして、平和の象徴であるオリーブの枝へと取りかえられました。壁崩壊後、そのオリーブの枝は再び鉄十字紋章へと戻されるなどブランデンブルク門もきれいに改修されましたが、ここを訪れた際はそうした歴史も感じながらブランデンブルク門をくぐり抜けてみてもいいかもしれません。

ベルリンの史跡についてはこちらでも紹介しています。


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