近代建築をリードしていった建築家としてミース・ファン・デル・ローエやワルター・グロピウス、ル・コルビュジエをご存知の方は多いでしょう。こうした建築家たちは、1920年代からモダニズム建築としてそのスタイルを確立していきました。もちろん、こうした近代建築は突然生まれたわけではなく、長きに渡る試行錯誤を通して出てきた様式です。特に、19世紀終わりから20世紀初めの世紀転換期は、様々な建築あるいは芸術の潮流が興っていた重要な時期でした。その混沌とした時代の中で、後の近代建築のパイオニアとなったものがペーター・ベーレンスによるAEGタービン工場です。これは、近代のギリシャ神殿とも言われ、モダニズム建築にとっても重要な建築となりました。今回は、このAEGタービン工場について紹介していきましょう。
AEGタービン工場について見ていく前に、まずは世紀転換期のドイツの状況について紹介しておきましょう。イギリスに遅れながらも産業革命が始まっていたドイツでは、19世紀後半には工業化が大分進んでいました。この時期になると、イギリスではすでに産業革命によって生まれた粗悪な機械生産の製品に対抗する流れとして、手工業に立ち戻るアーツ・アンド・クラフト運動がさかんになっていました。
ドイツにおいても同様の芸術潮流であるユーゲントシュティルなどが興っていましたが、逆に機械生産を奨励するような芸術・建築の流れがドイツでは大きかったようです。その中で、建築界に大きな影響を及ぼすことになったのが「ドイツ工作連盟」でした。このメンバーの中心となっていたのが、今回の建築家ペーター・ベーレンスであり、後のドイツ建築界を引っ張っていくことになるブルーノ・タウトやグロピウスといった建築家もここに参加していました。
さて、今回紹介するAEGタービン工場の建築家であるペーター・ベーレンスですが、この名前を聞いたことがないという方もいらっしゃるでしょう。ベーレンスは、1868年ドイツ・ハンブルク生まれで、青年時代は画家として活動しながら、1892年にはユーゲントシュティルの1つであるミュンヘン分離派の創設に関わるなどして、その後に建築家へとなっていきました。1907年からは建築事務所をベルリンに構え、ドイツ工作連盟の中心人物としても活動していました。ちなみに、コルビュジエやミース、そしてグロピウスといった近代建築の巨匠たちが若かりし頃、皆ベーレンスの事務所に所属していました。そのことを考えると、ベーレンスの凄みというのを感じられるのではないでしょうか。
それでは、今回の建築について見ていきましょう。ベーレンスがこのタービン工場の設計を任されることになったきっかけは、彼がドイツの電機メーカーであるAEGのデザイン顧問に就いたことでした。AEGタービン工場は1910年の作品ですが、この頃はまだ建築界全体としても19世紀の古典主義建築のかたちを保ちながらも、どうにか新しい世紀に相応しい近代的なかたちを模索していた時代でした。当時はすでに新しい素材として鉄も建築に用いられていましたが、建築芸術として受け入れられるには鉄の細い線は弱かったようです。したがって、ベーレンスはここでギリシャ神殿のように重厚な石積みの古典的な手法を取り入れながら、列柱を細い線の鉄で新しく表現しようとするなど、まさに近代のギリシャ神殿のようなかたちとなっています。
この建築が注目される理由はもう1つあります。それは、細部まで徹底しているデザインです。重厚な石積み部分では、目地や凹凸の仕上げ、さらには丸みのある隅部が見られますし、鉄骨造の部分でも、リベットや接合部、そして鉄柱はそのままに外壁が内側に少し倒れるディテールなど、新しい時代の建築芸術を成立させるための手法や美学がこうしたところにも見てとれます。後のコルビュジエやグロピウスによる近代建築に比べると、まだ19世紀の建築スタイルの様相を呈していますが、モダニズム建築の先駆けとなった世紀転換期の傑作であることは確かに感じられると思います。この時代の変わり目の建築を、あなたも間近で体験してみてはいかがでしょうか。
AEG-Turbinenhalle
アドレス:Huttenstraße 12-19 10553 Berlin Mitte
ベルリンの建築はこちらの記事でも紹介しています。
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