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T. S.

(ベルリンの建築)伝統と新しさを併せ持つミース作品「新ナショナルギャラリー」

更新日:2019年12月22日


ル・コルビュジエやフランク・ロイド・ライトと並んで近代建築の巨匠と言われるドイツ人建築家ミース・ファン・デル・ローエは、ベルリンにもいくつか建築作品を残しています。その1つがポツダム広場のすぐ近くに建つ新ナショナルギャラリーです。この建築は、シンケルによるアルテス・ムゼウムからくる古典主義の伝統を持ちながら、同時にモダニズム建築の最先端の新しさも持ちあわせるミースの代表作の1つであります。今回は、その新ナショナルギャラリーについて詳しく見ていきましょう。

まず、この建築が建てられた当時の状況を見ておきましょう。1960年代に新ナショナルギャラリーの設計は進められましたが、当時はまだ冷戦の真っ最中で、ベルリンの街は2つに分断されていました。冷戦の最前線でもあったベルリンでは、西側と東側がお互いの優位性を示す場所でもありました。新ナショナルギャラリーが建てられた文化広場(Kulturforum)は、ベルリンの壁が通るポツダム広場のすぐ西側に位置していたことから、西側の自由主義を東側に見せつけるには格好の場所でした。

そんな時代背景の中で計画された建築ですが、ミース個人としても特別な意味を持っていました。彼はドイツ出身の建築家であり、バウハウスの校長を務めたこともありますが、1933年にナチスによってそのバウハウスが閉鎖されると、その後アメリカへと亡命しました。新ナショナルギャラリーは、彼の亡命後初めてドイツで設計を手掛けた建築であり、最後の建築となったのでした。

それでは、新ナショナルギャラリーについて見ていきましょう。この建物でまず目に飛び込むのが65m四方にもなる巨大な屋根でしょう。この屋根はただ大きいというだけでなく、屋根の縁に配置された8本の十字断面の柱によって支えられることによって、地上の展示空間には柱のない巨大な無柱空間がつくり出されています。これによって、より自由な展示の仕方が可能である美術館であるとともに、内部にいると、あたかも大きな屋根が浮いているような軽快さと開放感を感じることができます。

こうした巨大な無柱空間は、鉄やガラスと言ったモダニズム建築で積極的に利用されてきた新しい素材によってつくり出された透明性のある新しい空間であり建築と言っていいでしょう。しかし、この建築はただ新しいというだけでなく、素材で言えば基壇の御影石や大理石など、古典建築で用いられてきたものも上手く建物の至るところで使われています。また、素材に加えて、基壇の構成や十字断面の柱が上へ行くにしたがって徐々に細くなっていくなど、あらゆる場面でクラシックな建築の手法や美学が見てとれます。

前回、カール・フリードリヒ・シンケルが手掛けたアルテス・ムゼウムを紹介しましたが、あの建築においてシンケルは19世紀において古典主義建築の頂点を究めました。新ナショナルギャラリーは、ミースがそのシンケルの建築を20世紀の素材や技術で発展させた建築であると思います。端正な構成や列柱空間、格子天井や絶妙なプロポーションは、シンケルからミースへとつながる建築要素となっています。それぞれの時代の建築の頂点を間近で体感し比べながら、存分に味わってみてはいかがでしょうか。

(注:2018年10月現在新ナショナルギャラリーは長期の改装で休館中です。)

モダニズム建築についてはこちらの記事でも紹介しています。


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